矢野さんのカレーショップ
僕はこの男についてどうしても書かなくてはならない。
齢は34歳、180センチを超える長身に、意外と男前な顔立ちに、明らかに遅い頭の回転、だが実はちょっぴりインテリという摩訶不思議な男だ。
僕はとある田舎町で、彼と出会った。
彼は僕が入居するシェアオフィスに突然愛車のオンボロのオープンカーで乗り付けて来て、「トイレ貸してください」と低くてシブい声で言い放ったのである。
僕は根っからの奇人変人珍人好きなので彼に興味を持ち、少し話すうちに「こいつは本物だ」と確信するに至ってから交友がスタートした。
矢野さんはワサビ農家を経営していて、その集落のワサビ沢の一箇所が矢野さんの家のものとされていたが、頭が少しおかしかった彼は肉親からも半ば見放され、小さな区画が彼個人に与えられ、家業の中でさらに独立した状態となっていた。
僕がひょんなことから彼のワサビ沢の草むしりをバイトとして手伝った時に、払われるはずの賃金はゲットできず、報酬として前日に購入した吉野家のキンと冷えた牛丼に、どうだ美味いだろうとばかりに擦りおろした乾燥したワサビを食わされる羽目になった事はここでは一旦置いておこう。
また、僕と彼の共通の友人との結婚披露宴に出席した際に、ジーパンにTシャツで現れ料理をガッツくような人間であることも追記しておく。
彼はある日僕に酔っ払いながら言った。
「狐くん、僕はこのつまらない人生を逆転してやろうと思うんだ」
何かやばいことが始まる予感がした。
彼は最近その町のインド人コミュニティに出入りするようになっていた。そのインド人たちのリーダー格の男がジョージという男で、ジョージは日本人にインド料理屋を開業させ、そこに彼の手先のインド人を本国から送り込み、インド政府からお金をもらうことと同時に店の開業コンサルタントとして日本人オーナーから受け取った金でインドのインテリアなどを店に横流しすることを生業としていた。
人懐こい笑顔で日本語を流暢に喋る、誰がどう見たって怪しい男だった。
矢野さんは日本政策投資金融公庫から350万円の資金調達に成功し、ジョージが送り込んだインド人2名をシェフとして雇い、カレーショップ「ナマステ」は町の中心部の元キャバクラの路面店を少しだけ改装してオープンした。
カレーは実際に美味しく、少し割高ではあるものの飲食店の体裁は保たれていた。
オープンして二ヶ月ほど経過した日、異変は起きた。
一人のインド人が失踪したのである。
理由は賃金の不払い。
なんと、350万円の開業資金は、店舗の改装費と家賃等で初月から底を尽き、二ヶ月目には従業員のインド人に賃金を払えなくなっていた。
店の前には、「何事も"対"になっていると良い」という謎の理論によって購入されたピンクのミニベロタイプの自転車二台が意味もなく鎮座していた。
僕は応援の気持ちでカレーを注文し、カウンターに座ると小さな米粒みたいな黒い点がウロウロとさまよっていた。
お腹に白い線の入ったベイビーゴキブリたちだった。
それを指摘した彼は「ああ、最近は少し多いねえ」と、そもそもいてはいけない存在の量の多寡についてコメントを返してきたあたりが完全なる崩壊の始まりだった。
そして次の一ヶ月で最後のインド人が姿を消し、カレーを作れないオーナーだけがポツンと取り残された。誰もカレーを作れないカレーショップになったその日の晩に店の前を通りがかった僕は、いつものMA-1を着て暗がりに一人佇む矢野さんを見たが声をかけられなかった。
次の日から、臨時休業となったナマステは、その後、二度とオープンする事はなかった。
それから二年経ったある日、偶然町で矢野さんに遭遇した。
今は車の代行運転業で働きながら借金を返済しているらしい彼は「のんびり屋のマリ」と一緒に暮らしていると言っていた。
彼自体がスローペースなのだから、「のんびり屋のマリ」は毎分何メートル進むことができる生物なのか気になったが、恐ろしくて深追いは避けた。
最後に彼は「神動画があるんだ」と言って、僕にiphoneで彼自身が撮影した動画を見せてくる。三分だけどどうしても僕に見て欲しいとのことだ。
その動画では神社の境内に座った若者(推定20代)が、大きな声で世の中についての不満をまくしたてていた。そしてその背中にはテニスラケットが挿さっていた。
彼の説法は途中で撮影者たる矢野さんとの対話に変わり、最終的に矢野さんは「お前の言葉は軽い」と怒られていた。
そんな彼の何かしらに感銘を受けた矢野さんは師匠と崇め、これからは彼に付いていく事を決意したと言う。
そう言い残し、僕らは別れた。
その後、町で矢野さんの姿を見たものは誰もいない。
あなたの街の神社で背中にテニスラケットを挿して対になって説法をする男二人組がいたら、どうかそっとしておいてあげて欲しい。
せめてもの旧友からの願いだ。
事故紹介
最初のポストなので本当は自己紹介をすべきだが、事故紹介が自己紹介に十分相当する気がしたのでそうさせてもらう。
車と言えばご存知、あの四輪の金属塊がブーンと走るあれだが、僕は高校三年生の時に地元の教習所で免許を取得した。僕は地元を離れて少し遠い高校に通っていたのでそこで再会する地元の面々、中でも卒業後にはどう考えても遊ばないようなやつとの再会などを楽しみながら(ミシュランマンみたいに団子状に太ってしまったやつ、マックのバイトで足にポテトを揚げるための熱々の油をぶっかけられてアキレス腱断裂、そのせいでクラッチに力が入らずエンストしまくって怒られている地獄みたいな状況の元同級生などを観測)、嫌なおっさんばかりが指導してる教習所を晴れてクリアした。
この時の僕はそれから5年で計4台の車の破壊に成功し、最終的にあっけなく免許を没収されることになることは知る由もなかった。
中でもダイナミックだった事件をご紹介しよう。
ある冬の日の朝9時、同じ会社を経営する仲間を乗せた僕は意気揚々と目的地に向かっていた。とても寒い日だったが、僕の心は晴れやかだったので、千と千尋の神隠しの歌を熱唱していた。何度目かのサビに差し掛かったところ、異変は起きた。
「呼んでいる〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!?????」
と、恐らく呼んでいることだけは間違いのない某主題歌の内容をあろうことか疑問形にしてしまったのは、タイヤがコントロール不能に陥り、滑りまくったからである。
そのままふわ〜〜っと車体が傾き、90度倒れ、さらにそこから90度倒れる。そのままドガッと発電所の壁を破壊しながら停止、車は完全に逆さまになっていた。
車内は地面を無くしたタイヤがカラカラと空を切る音だけが響き、静けさに包まれた。僕は砕け散ったフロントガラスが眼球に降り注ぎ、目が開かず、多分失明したと思った。座頭市状態の疑いがある上にブレーキとアクセルの隙間に挟まった右足で天地無用のこうもりと化した僕はその瞬間、限りなく妖怪に近かったと思う。
車内の後ろのメンバー二人は「ウゥ..」とか言いながら後部座席の窓から這い出していった。もうほとんど「はだしのゲン」の世界である。
僕は失明を覚悟して目をそっと開いて見たら、特に何の問題もなくガラスがパラっと落ちて視界にありつけた。
運転席のドアを蹴り飛ばして外に出ると、特に誰も何の怪我もしていなかったことがわかり、少し頭がおかしかった僕らはついにダッハッハハハと笑い始めた。
誰かが死んだと全員思ったのでそのシナリオを回避した安堵感とマンガ感のある事故の純然たる面白さに笑いが止まらなくなってしまった。
その日は路面凍結がひどい日で、自家用車と東京電力の壁を破壊した僕らは依然としてへらへらとしていたせいで道行く人に奇怪な目で見られつつ、レッカー車が来るまで暇なのでひっくり返ったワンボックスカーをあらゆる角度で撮影していた。
その日の晩、もう一人のメンバーが帰社し、「あれ、車は?」と僕に聞くも、「さぁ?」とぼけた顔して取り合わない。
当然釈然としない面持ちでトイレに立った彼のipadの壁紙を、先ほどの撮影会でゲットしたマッドマックス状態の車に変えて、顔色変えずに仕事に打ち込む。
要するに僕と言う人間はそんな感じのやつなのである。